2023.09.25
インボイス制度(適格請求書等保存方式)への対応に関するお知らせ

2023年10月01日(日)より、インボイス制度(適格請求書等保存方式)が開始されますので、弊社の同制度への対応についてお知せいたします。

弊社ではインボイス制度の対象となる課税取引のご利用について、
2023 年10月以降の決済分より、同制度の要件に対応できるようにいたします。

【当行適格請求書発行事業者登録番号のご案内】
株式会社アックスコンサルティングの登録番号をご案内いたします。

適格請求書発行事業者登録番号
T9011001004344
 

アディーレの弁護士たち 強面すぎる!石橋力弁護士

短期集中連載『アディーレ法律事務所 5人の弁護士たち! Vol.4』 海外放浪、塾講師、IT企業……その先にたどり着いたもの。 強面すぎる弁護士 石橋力弁護士

大好評シリーズ第4回目は、どこから見ても強面すぎる弁護士、石橋力氏が登場!
バックパッカーとして海外を放浪、塾講師として子供達と接し、IT業務にも携わる。そして自宅の庭には漫画用の書庫を構える。まさに人間力の塊です!
 

写真をご覧いただければお分かりだろう。石橋氏は、泣く子も黙る強面である。
取材当日、「もし質問中に噛んでしまったら……」ペンを持つ編集者の掌は汗でびっしょり、カメラマンも震えが止まらず、取材場所となる会議室内はある種の異様な緊張感が漂っていた。
約束の時間を少しだけ過ぎた頃、石橋氏は現れた。見た目はまさにアウトレイジ。なのに、優しく暖かな空気を室内に漲らせ、一瞬にしてその場の雰囲気を変えてしまった。
どこまでも純粋に、自分の本能ともいえる興味を探求し続ける石橋氏の半生を、できる限り紐解いてみた。

「元々、考古学や歴史に興味があって、ずっと京都に住みたいと思っていたので、その想いを叶えるために大学は迷わず京都の大学に進学しました。
具体的な専攻に関しては、歴史分野の中でも政治にまつわる話が好きだったので、政治史をやりたくて法学部の政治学科を選択しました。スポーツをずっとやってきたので体育会にも所属しましたが、ある程度のお金がかかるので、塾講師のアルバイトをしていました。
“塾”は大まかには、進学塾と補習塾の二つに別れるんですが、私がアルバイトしていたのは補習塾の方なんですね。『まずは通知表オール3を目指そう! 学校の成績をあげよう!』という、まさに学校のカリキュラムを補習するための塾です」。

学生時代は勉強、体育会、そしてアルバイトに明け暮れ、ある程度のお金が貯まったら海外を一人旅。そんな生活をしていた石橋氏。就職活動はしたものの、卒業後もそのまま塾講師として働きながら、放浪を続ける日々。ところが、そんなフリーダムな日々に、ちょっとした転機が訪れたのだ。

「塾の講師を続けていると、目の前で頑張っている子供達の姿をたくさん見るんです。どこまでもひた向きに頑張る彼ら彼女たちを見ていたら、自分も新しいことを勉強したくなってきて……そこで、ネットワークエンジニアを養成する講座に通って、IT業務も行っている企業に就職しました。ところが、やはり海外に行きたくなってしまったんですね。1年働いた後、海外で働ける可能性のある進学塾を見つけ、東京に戻ってきました」。

 

ここまで石橋氏を魅きつけた旅の魅力とは?

「海外は色々見て回りましたね。ニュージーランドにホームステイしたり、中国やタイをバックパック一つで放浪したり。その中でも、思い出深いのが中国を旅したときのある出来事です。
私が大学の5回生の時です。まぁ、5回生というのも変なのですが(笑)……その時に2ヶ月ほど中国を旅したんです。
船で、大阪から鑑真号(ガンジンゴウ)という船に乗って、太平洋から東シナ海を抜け、そこから上海に入るんです。上海から北京、そこから西安に行き、さらに成都、そしてチベットへというルートでした。成都で二週間ほどバックパッカー向けの安宿に泊まっていたんですが、近くによく行く食堂があったんです。まさにバックパッカー向けの安い食堂で私と同じような外国人の旅人で溢れかえっている店でした。
そして、そこで働いていたのはほとんど10代で、日本で言うところの中学校しか出ていない子たちなんですね。朝から晩まで汗だくになって働くんですが、みんなとてもしっかりしていて、英語を勉強したいと言うんです。
幸い、私は英語も中国語も多少できたので、ご飯を食べに行く度にちょこちょこ教えていたんです。
その中のある子が「私は日本語が勉強したい。そのための辞書が欲しい」と言うんです。だけど彼女は朝から晩まで働いているから、買いに行く時間がないんです。そして、なけなしのお金を私に預けるんです。
異国の地の食堂で出会ったボロボロの格好をした旅人にお金を預けるという意味。預かった金額は、それこそ辞書一冊程度の金額です。ただ、彼女がどれだけの思いをしながら稼いだか……ということを考えると、私の中に熱いものがこみ上げてきました。その後、わかりやすい辞書を探して、買って渡したんですね。辞書をペラペラめくりながら、すっごく喜ぶんです。ボロボロのバックパッカーに大切なお金を預けてくれた、その真っ直ぐな信頼と勉強したいという純粋な気持ちに私は心を打たれました。しかも真剣な眼差しで「すぐそこの四川大学で日本語の講義もやってるから、講師としてここに残って勉強を教えてくれ!」って言うんです。あの子の笑顔は今でも鮮明に心に焼き付いています」。

塾講師をする傍ら、興味の赴くままに旅を続けてきた石橋氏。40歳を目前に控え、ある重大な決断をすることになる。

「40代を目前に控え、ふと考えたんです。塾講師って人気商売なんです。どんなに教え方が上手くて、どんなに結果を出したとしても、嫌われてしまったら終わりです。これまでの私の教え方を貫くならば、生徒と年齢が近い方がいいと考えていました。過去の自分と今の自分、40歳を目前に控え、自分の中で限界を感じたんですね。
時を同じくして、進路相談などで親御さんと話す機会があり、いじめの問題なんかも度々耳にしていました。私の塾講師としての力量では、学力の問題は対処できても、学校内の問題までは対処できない。でも、教室を見渡すと、目の前に悩んでる子供達がいるんです。
色んな感情が渦巻く中、「結局どうする?」と考えた時、たまたまテレビの再放送で『HERO』を観たんです」。

「……これがあった」

「気づいたんです。しかも、私は松たか子さんの大ファンです。小さな部屋で松たか子さんのような事務官と二人きり……調べていくとロースクールを卒業すれば、司法試験の受験資格を得ることができ、弁護士ならば定年もなく、学校内の問題にも塾講師とは異なるアプローチができる、今までの経歴を活かした上で長く続けられる。私は仕事を辞めてロースクールに通い出したのです」。
 

 

40歳を目前に、弁護士を目指すということ

「まずは塾でアルバイトをしながらロースクールを受験し、司法試験の入門講座を受けました。そして、ロースクール入学を機に借りていた部屋を引き払い、千葉の実家に戻りました。
もし家庭をもっていたら、私も安定というレールを外れなかったと思います。だけど、私は一人身だし、幸いなことに千葉に実家があったんで、実家に戻るのも親孝行かと(笑)。
ロースクールに3年通い、卒業後に試験を受けるんですが……大変でした。当時、ロースクールを卒業した年を含めて5年以内に3回しか受けられない制度だったんです。そういう状況の中、1回目を受けて落ちました。翌年も受けようと思ったんですが、チャンスは3回。失敗できないと思ったんで、2年目は受けませんでした。見送りです。そして、3年目2回目の試験も落ちました。『やばい、後がない!』と。
いよいよ追い詰められたな〜と思っていたら、運良くその年に、3回までという制度がなくなったんです。ということで、4年目に受けたんです。またダメでした。そして、これで落ちたら資格喪失という最後の年に受かったんです」。

 

40歳からのキャリアチェンジ、プレッシャーはなかったのか?

「正直、そこまで大きなプレッシャーは感じていませんでした。今の日本だったら仕事を選ばなければ食べてはいけるし、ダメだったら違う道に行くしかないな、と思っていました。それと、ロースクールを卒業してからの4年間、ずっと勉強漬けだったわけではないんです。歳をとると若い頃の様に集中力が続かないんです。最初は朝から晩まで自習室にいたんですが、座っていられないんです。なのでメリハリをつけようと思って、最後の1年間は午前中はジムに通ってトレーニング、午後から勉強という生活に切り替えました。勉強時間に換算すると、最初の3年は1日8時間くらい、最後の1年は1日よくても5時間くらいですかね。
司法試験は、やりすぎたらダメなんです。きりがないというか、いくらでも知識・情報が入ってきてしまうので、取捨選択をすることが大切なんです。無理なく適度にストレスも発散しながら勉強を続けられたことも、余計なプレッシャーを感じなかった一つの理由かもしれませんね」。

 

強面すぎることについて

「メリットは、見た目がキャリアをカバーしてくれることですかね。皆さん、きちんと対応してくれます。デメリットは……あんまり感じたことはないです。私がメリットに感じている『すぐに覚えてもらえる』ということが、いつかデメリットになることも、あるかもしれませんね」。

 

先生のこれまでの人生の中で忘れられない書籍は?

「湯川秀樹さんの自伝『旅人 ある物理学者の回想』です。湯川秀樹さんは、おじいさんが漢学に精通していて、ご自身も日本人初となるノーベル物理学賞を受賞しているのに、幼少期から漢籍の素読の指導を受けていて、後の人生に大きな影響を与えたと書かれているんです。
私は、歴史が好きだったので、学部ももちろん文系に進んだんですが、湯川秀樹さんの自伝を読んで“文系に進むからって、今まで学んできた数学や物理を捨てることはない!”と思い、数学で受験しました。文系理系という選択肢を気にすることはない、と気づかせてもらえたのは大きかったです。

あとは、バイトをしていた補習塾で出会った先生方です。私の「師匠」です。強烈な個性を持った方々で、皆さんすさまじい才能の持ち主なんです。恐ろしいほど頭が良く、運動能力も尋常じゃないくらい高いんです。もちろん、授業も面白い!そういう人たちがいたから、ずっとその塾にいたっていうのもありますね。刺激的な日々でした。幾つになっても、いつまで経っても越えられない壁、です。

あとは、漫画……ですかね。いっぱいあるんです。庭に書庫を作って保管するくらいありますよ。

「私は野球少年だったので、まずは『ドカベン』『あぶさん』『野球狂の詩』に始まり、野球ではないですが『六三四の剣』『エースをねらえ!』は今でもよく覚えています。そういえば、『めぞん一刻』を読んで、管理人さんがいる下宿に憧れました。
今だったら『将国のアルタイル』ですね。それと、『センゴク権兵衛』や『ヴィンランド・サガ』この辺りも非常に面白いです。あとは、終わってしまったんですが『勇午』というマンガ、これも面白かったですね! 『ゴルゴ13』と似ていて、外交や政治の時事ネタがふんだんに盛り込まれているところが、読み応えありました!」

 

これから士業を目指す人たちに向けて

「私が強く想い、お伝えしたいことは『何もやらなければ変わらない』ということです。もちろん、これまでのレールに乗っていく、それはそれで一つの生き方だし。全然ありだと思います。
ただ、人生は一回しかない。少しでも、何か“これをやりたい”という思いがあるなら、まずはやってみるということを考えてもいいと思います。
ダメならダメで違う道もあるし。一番怖いのは『自分にはこれしかない』と決めつけてしまうこと。自分で自分の可能性を潰してしまう。これが一番怖いですね。人生は苦行じゃないし、苦行は辛いでしょ。なので、人生には、様々な生き方があるんだということに目を向けてみる。そうすれば少しは楽になれると思います。日本には、選択肢が色々ありますから!
 

アディーレ法律事務所の次回企画予告

次回は昆虫ショップを経営していたという一風変わった経歴を持つアディーレ法律事務所田島寛明弁護士。お楽しみに!

プロフィール
石橋 力(いしばし つとむ)氏
弁護士

資格:弁護士
所属:千葉県弁護士会
出身:千葉県
出身大学:同志社大学法学部、日本大学大学院法務研究科
関連コンテンツ