元・労働基準監督官 社労士・篠原宏治の開業ヒストリー ブログで勝て
- 2020.05.26
- プロパートナーONLINE 編集部
社会保険労務士として独立を果たした篠原宏治(しのはらこうじ)氏。開業3年目にも関わらず、現在はコンサルティング業を主軸に、セミナーや書き物の仕事で多忙な日々を送っている。
さて、この篠原氏は“労働基準監督署”・“日本年金機構”の両方を勤務した経験を持つ数少ない社労士なのである。
その華麗なるキャリアもさることながら、各種メディアオファーの絶えないブランディング力は、どのように構築されたものなのか?
本企画では現在への轍を辿りつつ、その懐に迫ってみた!
就職不況と年金問題が
人生のターニングポイントに!
Q.開業に至るまでの経緯を教えてください。
A.私は独立する以前に、労働基準監督署で7年間、その後に日本年金機構で4年、さらに社会保険労務士法人で1年間勤務しました。その間に社労士の資格をはじめ、ビジネス実務法務検定やFPの資格なども取得しました。これは業務の勉強であると同時に、生きていく上の “保険”のようなものだと認識しています。私は小心者なのでリスクを恐れずに起業!というような性格ではないんです(笑)。
ただ、実家が小さいながら電気関係の自営業をやっていましたので、働き方に“会社勤め”というイメージは薄く、いずれ何かをやりたいなあ……という想いはありました。
Q.なぜ労働基準監督署に就業したのですか?
A.学生時代からの経緯を話すと、私はガッチガチの理系人間で専攻は土木系でした。このコースは一般的にゼネコンなどを目指すのですが、当時は超・就職氷河期!準大手ゼネコンが潰れてしまうほどの建設不況とあって、卒業後は大学院へ進学しました。そこで勉強している途中に法律に対する意識が芽生え、公務員へ方向転換するんですが、その中でも“どの種の公務員になるか”とさらに選択肢が現れました。通常、土木専攻であれば国土交通省の技官などが王道なのですが、前述のように法律に興味を持ち、性格的にも一か所にとどまって勤務というものに面白味が湧かないタイプなので、結果的にその両者を含んだ“労働基準監督官”の試験を受験したんです。変な話かもしれませんが、公務員になった理由に“安定”というモノは求めていませんでした。後は合格後に大学院を中退して入省という流れです。監督官というと文系という印象が強いかもしれませんが、実は3割程度は理系採用枠があるんです。採用が決まってからは今のうちにやりたいことをやろう!と 中退し、就職までの期間は独学でホームページの作成やプログラミングに関する勉強をしていました。
今となってはこのころの知識は役に立っています。ちなみに労基の試験の段階では、労働についての問題はそれほど出てきません。むしろ一般の公務員試験に難易度をプラスしたような印象です。
Q.労働基準監督署時代はどういった勤務をしていましたか?
A.入所すると最初の3年間はどこかの都道府県で務めるというルールがあるんです。私は大阪に配属となり地元(愛媛)を離れました。業務で色々な会社を訪問するのですが、“なかなか面白味のある仕事だ”というのが素直な感想です。最初の3年間を終えると、その後さらに別の地方へ4年間赴任するのですが、だんだん労働基準監督署の業務が“窮屈”に感じ始めました。それでも一般の公務員に比べれば自由度は高いのですが、やはり民間企業とは違います。
訪問先の企業ではサクサクと効率良く処理していくものが、自分たちは類似の業務でも地道にひとつひとつ処理していかなければならない。例えば“電子メール”も、当時は一般の職員は利用できずFAXを送っていました。それは“丁寧”とも受け取れますが、逆にまだるっこい部分でもあります。
私は元々理系畑ですからITにはだいぶ力を入れて学習していた時期もあり、この頃から “独立もいいかな”という想いが具体的に浮かんできました。
とはいえ、実際は労働基準監督署の退所後にすぐには独立をしていません。これは偶然なのですが“消えた年金問題”がスクープされ、社会保険庁が民営化されました。同時に特殊法人という形で日本年金機構が発足し、従業員の募集が始まりました。私はすぐさま “これは面白そうだ!”と入社を決めました。
業務の一部が社労士とかぶっており、そもそも世間の注目同様に私自身もかなり興味がありました。また、将来的には独立する!というのは既に決めていたので“この仕事を経験しておくと後で役に立つだろう”ということも脳裏にはありましたね。
監督署退職の翌年、社会保険労務士の資格を取り、年金機構に入りました。私は労働基準監督官の出身なので一部の科目が免除になります。とはいえ、他の科目はガッツリ勉強しました。試験範囲の全てが実務に関係している訳ではないので、この期間は1日3~5時間程度、ひたすら過去問を繰り返し、本当に何度も暗記するまで繰り返し学習しました。同時に先ほど申し上げたFPやビジネス法務などの資格も一緒に勉強しました。やはり小心者なので(笑)。
そしていよいよ、開業……! とはならず、その後も1年間、都内の社会保険労務士法人に勤務しました。やはり公務員や特殊法人では経験できない事もありますから、一度は事務所勤めが必要だと感じたんです。
自身の事務所を開業したのは平成28年2月です。独立を志してから数年……ようやく想いを馳せました!
華麗なるキャリアの売り込みは
徹底的にブログ記事をアップすること!
Q.開業時にかかった費用を教えてください。
A.開業資金としては100万円をベースに考えました。とはいえ自宅兼事務所でスタートしたので、費用は安価に収まっています。購入した備品はPCとプリンター(家庭用)、机と椅子を新しく買い替えたので、その費用が約30万円です。その他に封筒や名刺などがありますが、どれも1万円以下で特徴的なものではありません。しいていえば名刺のロゴをデザイナーに依頼してつくったのですが、『coconala』というサイトを通して依頼しました。このサイトはイラストレーターの売り込み場所といった内容で、個人間でのやり取りのため安価にデザイン依頼ができます。おおよそのイメージを先方に伝えて5000円で作ってもらいました。オレンジのカラーを基調にしているのですが、これは地元・愛媛のみかんに由来しています。その他の費用はホームページを制作するために、サーバーを借りたことです。とはいえ、個人用のモノで月/2,000円。ドメイン代が年/3,000円です。ホームページ自体は私自身が作りました。友人に手伝ってもらった部分もあるのですが、費用といえるようなものは掛かっていません。
Q.広告・宣伝の費用や手法を教えてください。
A.実は広告はほとんど費用を投じていません。開業して間もなくはリスティング広告を実験的に利用してみましたが、月/1万円で 3ヶ月間利用し効果を感じなかったのでスグに止めました。Twitterにいたっては1ヶ月だけで終了しました。では、どうやって営業したかというと……私の場合は自分のブログを運営していたのですが、これが最も効果を感じています。おおよそ、2日に1本の割合で2000~3000字程度のブログをアップしていきました。最初の目標は100記事作ることで、内容は社労士の業務に関するものを中心に時事ネタなどを織り交ぜて書きました。
これが次第と読んで頂けるようになり、視聴回数が大幅にアップしたんです。それに連動するようにして、コンサルティング業務をはじめ、セミナーの講演(2017年46件、2018年3月時点で24件)、サイトの記事依頼(SmartHR公式ライター)、テレビ出演(めざましテレビ)などが立て続けに舞い込んできました。
とはいえ、私は記者や編集者といった経験は皆無のため、最初は本当に戸惑いました。“これでいいのか!”と筆が進まずに右往左往したことも少なくありません。最近はようやく慣れてきたとはいえ、今も記事の執筆には苦労しています(笑)。
Q.ブログを書く時のコツを教えてください。
A.社会保険労務士の基本書を開くと、聞きなれない言葉がズラリと並んでおり、慣れない人は途端に法律用語アレルギーを感じてしまいます。まずは、読者に対して優しく分かりやすい記事を書くことが大切です。また、労務に関する諸問題が発生した時に、大衆紙が主張するステレオタイプの意見を記事の中で反復しても意味がありません。過去に勤務した労働基準監督署や日本年金機構での経験を活かしつつ、独自の切り口で記事を書いています。Q.独立にあたって人脈づくりは?
A.開業後にビジネス系の交流会に参加したこともありますが、いわゆる“名刺集め”といった行動をしたことはありません。私の場合は、元々の勤め先の知り合いから仕事につながれば良いな……と思っていましたが、特に人脈づくりにはげんだことはありません。しいていえば、もっと保険業や他士業の方々と知り合っておけばよかったと思うこともあるので、交流会に参加することは独立のメリットになると思います。
Q.現在3年目ですが、初年度、2年目の売上を教えてください。
A.初年度は300万円。2年目は800万円です。3年目に入り、自宅から事務所を独立させました。今まではほぼ私1人で業務を行ってきましたが、いよいよ業務が回らなくなってきたので、現在は2名のパートさんを雇い3人体制で業務に取組んでいます。目標としては今年中に4人目を雇い入れるところまで、ステップアップしたいですね。Q.今後の目標を教えてください。
A.5年目を目途に7~8人ぐらいの規模まで拡大したいと考えています。また、おぼろげですが将来的に社労士業務に関するオールアバウトのようなWebサイトを作りたいと考えています。私自身がブログによってブランディングをしたように、記事を書くことで世に自身の名を周知させたい方がいると思います。ただ、Webサイトの運営は誰もが簡単にできるとは言い難い。そこで記事を書く以外の作業は運営側で補うというシステムです。サイトが拡大すれば視聴者も増えるし、いろいろと議論も活性化して社会的にも有意義なものになると考えています。今回、インタビューにご協力頂いた篠原氏は社会保険労務士という資格を有する以前に、“労働基準監督官”と“日本年金機構”に勤務しブレないキャリアを構築しており、そっくりそのまま真似をしても同等のブランディングは難しいかもしれない。しかし、人にはそれぞれ個性がある。そこを十二分に発揮していけば大いにブランディングが可能だろう。
まずは“100記事”など、しっかりとした数字目標を設定し、日々数千文字の記事をアップするひたむきな作業、目の前の業務に取り組むべし!
プロフィール
篠原 宏治(しのはら こうじ)氏
社会保険労務士事務所 しのはら労働コンサルタント 代表
特定社会保険労務士
元労働基準監督官
非営利一般社団法人 安全衛生優良企業マーク推進機構(SHEM)顧問
愛媛県出身。愛媛大学工学部環境建設工学科卒業。労働基準監督官として大阪府と北海道の労働基準監督署で約7年間勤務し、賃金不払い、サービス残業、解雇、長時間労働など多数の相談対応・監督調査・指導に携わる。都内の社会保険労務士法人で経験後、独立開業。社会保険労務士の他、行政書士、宅地建物取引士、2級ファイナンシャル・プランニング技能士などの資格を有し、幅広い知識と経験を生かした相談対応を心がけている。
働くすべての人をちょっと賢くするメディア「SmartHR mag.」の公式ライター。取材対応実績も多数あり。
趣味はビリヤード。(ポケットビリヤードとスリークッション。実力はどちらも中の下。)
特定社会保険労務士
元労働基準監督官
非営利一般社団法人 安全衛生優良企業マーク推進機構(SHEM)顧問
愛媛県出身。愛媛大学工学部環境建設工学科卒業。労働基準監督官として大阪府と北海道の労働基準監督署で約7年間勤務し、賃金不払い、サービス残業、解雇、長時間労働など多数の相談対応・監督調査・指導に携わる。都内の社会保険労務士法人で経験後、独立開業。社会保険労務士の他、行政書士、宅地建物取引士、2級ファイナンシャル・プランニング技能士などの資格を有し、幅広い知識と経験を生かした相談対応を心がけている。
働くすべての人をちょっと賢くするメディア「SmartHR mag.」の公式ライター。取材対応実績も多数あり。
趣味はビリヤード。(ポケットビリヤードとスリークッション。実力はどちらも中の下。)
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