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  • あなたは今、弁護士として独立開業するべきなのか?

    弁護士を描くテレビドラマは、いつの時代も常に人気のテーマです。つい最近も、弁護士を描いた人気ドラマのシーズン2が放送され、高視聴率を獲得しました。そのドラマに登場する主人公は、たとえ99.9%有罪が確定している事件でも、残り0.1%が確定しない限り真実を追い求めます。弁護士のかがみともいえる精神で有罪を無罪に、引き受けた案件はほぼすべて依頼者の依頼通りに解決していきます。それに加えて容姿は超イケメンで料理上手。そんな完璧な弁護士が、法律事務所勤務なのです。「いや、そんなに完璧なら勤めてないで独立しろよ!」って思いませんか?これほど完璧な弁護士はドラマの世界だけかもしれませんが、今、あなたは弁護士として独立するべきなのでしょうか?そこで今回は、独立開業するべき人について解説していきます。 独立開業すべき弁護士のポイント●弁護士経験が5年以上ある修習終了後すぐに独立をする即独弁護士も増えていますが。弁護士業は、特殊な事件を除けば、最初の5年の間に一通りの種類の事件を経験します。弁護士登録をしてから5年ほど経ち、ある程度の経験を積むと、独立を考える弁護士が増えてきます。 ●自己資金で最低300万円の開業資金がある物件の保証金、事務所の内装、オフィス家具や事務用品の購入費用など、すべてを合わせて、開業する際にかかる資金は最低300万円が目安になると言えます。300万円を自分で用意できると、開業後の負債の返済がないですが、協力者から支援をしてもらうと返済の必要があるので、売上や営業にプレッシャーがかかり、顧客に契約を迫ったことで顧客を離してしまうこともあります。 ●月100万円以上の売上が見込めるか 2018.05.11
  • 士業の独立・拡大の轍を追う! OCパートナーズ代表 税理士・呉村哲弘氏【後編】

     元関西ジャニーズJr.という異色の経歴から、20歳の時に税理士を目指して猛勉強開始。若干26歳にして独立したOCパートナーズ・代表の呉村氏だが、その後、ある一つの決断に至る。それは上京して、事務所を拡大するというもの。2万以上の事務所がひしめき合う(経済センサス調べ)東京進出への挑戦から、10周年を迎える現在に至るまでの軌道を、前回に引き続きプロパートナー編集部ならではの“実務という観点”から具体的に聞いてみた。 事務所が安定するやいなや、全財産を投入しての東京進出!東京へ進出した時のことを教えてください。「開業から3年目、29歳の年に東京へ店舗を構えることにしました。当時は結婚もして業務的にも金銭的にもある程度充実していたので、安定を望むならこのままでも……という考え方もありました。しかし、一方では、“このまま生涯ずっと大阪でやっていくこと”に繰り返し自問自答している自分もいました。いっそ、個人事業主から法人化して東京へ進出……。思いは徐々に強くなっていきます。そしてある夜、妻も子供も寝静まった自宅のリビングで、一人お酒を飲みながら本やブログを読み漁っていた時、明確に“東京へ進出しよう”と決断しました。何の本だったかは覚えていませんが、“立ち止まらずにやってみなよ!”といったような内容だったと思います。2日後には都内で新しい事務所物件を探しに、駆けずり回っていました」。税理士試験の時と同じく、思い立ったら “即実行”が呉村氏のスタイル。しかしながら、この進出は、3年間で貯めた全財産を投入するという非常にリスクの高いものとなった。既に大阪の事務所では従業員もいたため、仮にうまくいかなかった場合はすべてを失う可能性も高い。「一歩間違えば、危機的状況になることはわかっていましたから、これから開業する方や、既に開業している方に上京して展開することを勧められるかというと、ちょっとどうかなと思います。私の場合、20歳で税理士を目指すまで、一時期東京に住んでいたので、仕事のみでなく、たくさんの友人知人がいました。東京進出を決められた理由の一つにそういった人脈の部分もありましたね」。 進出後の具体的な戦略を教えてください 応接室の一角。税理士事務所とは思えない選書が。 「差別化……つまり、ブランディングが大切だと考えています。現在もそうですがインターネットで集客するにあたり、お客様に選んで頂けるホームページが必要です。ベースは広告ですが、たくさんの税理士事務所の中でいかにオンリー・ワンになれるかです。カッコ良いものでなくてもいい、ダサくてもいい。そのためにもホームページの動画や、事務所の内装など、仕掛けづくりを徹底し、最終的にお客様に“いいな”と思って頂けることを心がけています」。 OCパートナーズは現在、新設法人の設立業務に“特化”していますが、その理由はなんですか? 2018.04.10
  • 元・労働基準監督官 社労士・篠原宏治の開業ヒストリー ブログで勝て

    社会保険労務士として独立を果たした篠原宏治(しのはらこうじ)氏。開業3年目にも関わらず、現在はコンサルティング業を主軸に、セミナーや書き物の仕事で多忙な日々を送っている。さて、この篠原氏は“労働基準監督署”・“日本年金機構”の両方を勤務した経験を持つ数少ない社労士なのである。その華麗なるキャリアもさることながら、各種メディアオファーの絶えないブランディング力は、どのように構築されたものなのか?本企画では現在への轍を辿りつつ、その懐に迫ってみた! 就職不況と年金問題が人生のターニングポイントに!Q.開業に至るまでの経緯を教えてください。A.私は独立する以前に、労働基準監督署で7年間、その後に日本年金機構で4年、さらに社会保険労務士法人で1年間勤務しました。その間に社労士の資格をはじめ、ビジネス実務法務検定やFPの資格なども取得しました。これは業務の勉強であると同時に、生きていく上の “保険”のようなものだと認識しています。私は小心者なのでリスクを恐れずに起業!というような性格ではないんです(笑)。ただ、実家が小さいながら電気関係の自営業をやっていましたので、働き方に“会社勤め”というイメージは薄く、いずれ何かをやりたいなあ……という想いはありました。 Q.なぜ労働基準監督署に就業したのですか?A.学生時代からの経緯を話すと、私はガッチガチの理系人間で専攻は土木系でした。このコースは一般的にゼネコンなどを目指すのですが、当時は超・就職氷河期!準大手ゼネコンが潰れてしまうほどの建設不況とあって、卒業後は大学院へ進学しました。そこで勉強している途中に法律に対する意識が芽生え、公務員へ方向転換するんですが、その中でも“どの種の公務員になるか”とさらに選択肢が現れました。通常、土木専攻であれば国土交通省の技官などが王道なのですが、前述のように法律に興味を持ち、性格的にも一か所にとどまって勤務というものに面白味が湧かないタイプなので、結果的にその両者を含んだ“労働基準監督官”の試験を受験したんです。変な話かもしれませんが、公務員になった理由に“安定”というモノは求めていませんでした。後は合格後に大学院を中退して入省という流れです。監督官というと文系という印象が強いかもしれませんが、実は3割程度は理系採用枠があるんです。採用が決まってからは今のうちにやりたいことをやろう!と 中退し、就職までの期間は独学でホームページの作成やプログラミングに関する勉強をしていました。今となってはこのころの知識は役に立っています。ちなみに労基の試験の段階では、労働についての問題はそれほど出てきません。むしろ一般の公務員試験に難易度をプラスしたような印象です。 Q.労働基準監督署時代はどういった勤務をしていましたか?A.入所すると最初の3年間はどこかの都道府県で務めるというルールがあるんです。私は大阪に配属となり地元(愛媛)を離れました。業務で色々な会社を訪問するのですが、“なかなか面白味のある仕事だ”というのが素直な感想です。最初の3年間を終えると、その後さらに別の地方へ4年間赴任するのですが、だんだん労働基準監督署の業務が“窮屈”に感じ始めました。それでも一般の公務員に比べれば自由度は高いのですが、やはり民間企業とは違います。訪問先の企業ではサクサクと効率良く処理していくものが、自分たちは類似の業務でも地道にひとつひとつ処理していかなければならない。例えば“電子メール”も、当時は一般の職員は利用できずFAXを送っていました。それは“丁寧”とも受け取れますが、逆にまだるっこい部分でもあります。私は元々理系畑ですからITにはだいぶ力を入れて学習していた時期もあり、この頃から “独立もいいかな”という想いが具体的に浮かんできました。とはいえ、実際は労働基準監督署の退所後にすぐには独立をしていません。これは偶然なのですが“消えた年金問題”がスクープされ、社会保険庁が民営化されました。同時に特殊法人という形で日本年金機構が発足し、従業員の募集が始まりました。私はすぐさま “これは面白そうだ!”と入社を決めました。業務の一部が社労士とかぶっており、そもそも世間の注目同様に私自身もかなり興味がありました。また、将来的には独立する!というのは既に決めていたので“この仕事を経験しておくと後で役に立つだろう”ということも脳裏にはありましたね。監督署退職の翌年、社会保険労務士の資格を取り、年金機構に入りました。私は労働基準監督官の出身なので一部の科目が免除になります。とはいえ、他の科目はガッツリ勉強しました。試験範囲の全てが実務に関係している訳ではないので、この期間は1日3~5時間程度、ひたすら過去問を繰り返し、本当に何度も暗記するまで繰り返し学習しました。同時に先ほど申し上げたFPやビジネス法務などの資格も一緒に勉強しました。やはり小心者なので(笑)。そしていよいよ、開業……! とはならず、その後も1年間、都内の社会保険労務士法人に勤務しました。やはり公務員や特殊法人では経験できない事もありますから、一度は事務所勤めが必要だと感じたんです。自身の事務所を開業したのは平成28年2月です。独立を志してから数年……ようやく想いを馳せました! 華麗なるキャリアの売り込みは徹底的にブログ記事をアップすること! 2018.04.09
  • 税理士が独立開業で失敗する4つのパターン

    日本税理士会連合会によると、平成29年3月末日の税理士登録者数は76,493人で、そのうち57,215人が開業税理士となっています。約7割強の税理士が独立開業の道を歩んでいることとなりますが、中小企業の数も長期減少傾向にある現在では仕事が軌道に乗らず、なかには廃業してしまう事務所もあるようです。そこで今回は、税理士が独立開業の際に失敗に陥りやすい4つのパターンを考察していきます。 経験や人脈があっても失敗することはある!?税理士として独立開業への道を歩む場合は、資格をとって税理士登録をしてわりとすぐに開業するパターンと、会計事務所で数年~十数年ほど経験を積んだあとに開業するパターンの二通りがあります。前者は経験が浅く、人脈もほとんどないことが想定されるため、開業後に相応の努力が必要になることが考えられます。その点、後者は所属していた事務所での経験や人脈がある程度あることを考えると、独立開業に適していると考えられます。しかし、“独立開業に適している”後者であっても、決して成功が約束されているわけではありません。では、“税理士が独立開業に失敗して廃業するパターン”とは、どのような場合が考えられるのでしょうか? 税理士が独立開業して失敗する4つのパターン当たり前の話ですが、“事業に失敗して廃業する”といってもその理由は、所長の年齢や経験などによって大きく変わってきます。まず、資格をとって税理士登録をしてわりとすぐに開業する税理士が、失敗しやすいパターンについて見ていきましょう。 1.経営者的視点が欠けているパターン税理士を目指す多くの方は、非常に真面目な性格の方が多いのではないでしょうか?この“真面目”というのは業務を遂行する上では重要な要素ですが、経営していく立場となれば話は変わってきます。つまり、「お客さんのために毎日真面目に完璧な仕事をこなしていれば、自然と新たなお客さんも集まってくるはず」と信じて独立開業した場合はうまくいかないことが多いのです。事務所などで働く勤務税理士であればそのようなスタンスで問題はありません。それはあくまで事務所側が必要としていることが“能力”や“真面目さ”だからです。しかし、独立開業したからには職人的な考え方に加えて経営者的な考え方を持たなければ、真面目に仕事をする以前の集客や営業の段階でつまづいてしまいます。 2018.04.06
  • 成功者に学ぶ!独立・開業テクニック〜森下敦史税理士事務所【後編】〜

    前回、森下敦史先生の開業の準備期間から開業1周年、2周年と事務所黎明期のハウツーをご指南頂きました。後編となる今回は、3年目以降の安定期に事務所はどういった展望を見据えて動いていくのか? 現在の成功をつかんだヒストリーを、一つ一つ具体的に教えて頂きます。 本当の勝負は3年目から! イチから企業営業を開始!事務所経営が3年目に突入し、リスティング広告と紹介会社の利用によって新設法人設立の顧客数は順調に伸びていきました。しかし、新規の法人というのは当然これから事業を始めるため、経営は不安定。それゆえ、顧問料諸々も安価になりやすい傾向があり、薄利多売の業務構造を作ってしまうことになります。今後の事務所経営を考えると単価の安定した収益が必要不可欠でもあります。森下先生はこうした問題をクリアするため新たな営業方法にとりくみました。Q.新たな営業方法とはなんですか?A.今までは新規の法人の設立案件が多かったのですが、既存の法人に対して営業を開始しました。売上が大きい企業はやはり安定感が違います。なのでそういったところの顧問に収まるのは、非常に魅力的なんです。顧問料の額も、それなりに大きくなります。方法としては、まず、電話でのアポ取りをします。これは企業リストを購入して、アポ取りを行い、そのアポを元に私が企業へ伺うという流れです。一般の企業営業だと思っていただければわかりやすいかと。Q.営業の結果はどうですか?A.これはかなり難易度が高く最初のうちは大変でした。今までの営業方法は形は違えど、“お客様の方から、税理士が必要で声を掛けて頂いている”という状態でのものでした。なので成約率は常に50%以上ありました。面談をして、すぐに依頼というパターンの繰り返しです。しかし、今度はまるで違います。そもそも要求がないところに飛び込んで……そこから始まるわけですから。最初のころは全く契約が取れず、何度も止めようかと思いました。とはいえ、粘り強く続けてみたところ、半年を過ぎた頃にようやく契約が取れるようになってきました。この方法だと、今までのように“すぐに契約”ということはまずありません。何年も営業している会社ですから、既存の顧問税理士が付いている例もありますし、従業員の生活や社会的に背負っているものなど新設の法人とは背景が違うんです。そこで重要になるのが信頼関係なんです。古典的かもしれませんが、まずは何度も足を運んで私という人間性を知って頂き、そこではじめて具体的な税理士としてのスキルや、費用といった話ができるんです。最近ようやくコンスタントに契約を頂くことができました。こういったお客様は企業規模も大きいので、単価も年額80万円、経理も含めたパッケージになると年額150万円の案件もあります。今の税制は起業がしやすい環境なので、新設法人のサポート業務を主体として税理士事務所を開業するのはひとつの方法だと思いますが、既存企業も多くの不安を抱えており、税理士が必要となるケースも多々あります。よくあるパターンが経営者が高齢になっており、事業継承や生存贈与、相続など将来的に考えている、というもの。時流にあった有意義な業務だと思っています。Q.顧客を一件獲得するのにかかる費用(営業費、広告費など)はいくらですか? 2018.04.03
  • 士業の独立・拡大の轍を追う! OCパートナーズ代表 税理士・呉村哲弘氏【前編】

     2018年、独立から10周年を迎え、更なる躍進を続ける『税理士法人OCパートナーズ』代表・呉村哲弘(くれむら あきひろ)氏。26歳の時に地元・大阪にて独立、29歳で東京へ進出と、順風満帆に歩んできたかに見えるその輝かしい事務所経営だが、そのひとつひとつを紐解くと、そこには人生を揺るがす、大きな選択と決断の連続であったという。今回、私たちプロパートナーONLINE編集部は、呉村氏の半生を振り返りながら、開業・経営について具体的に伺ってみた。 元関西ジャニーズJr.から俳優へ。そのキャリアをすべて捨て、税理士を目指す税理士を目指したきっかけとその歩みを、教えてください。呉村氏は、20歳の時に税理士を目指し試験勉強を開始するのだが、それ以前の経歴がいわゆる“一般の税理士”とは大きく異なっている。14歳で関西ジャニーズJr.として芸能界入りし、その後、俳優を志し上京。映画に主演するなど躍進著しいそのタイミングで、まさかの俳優業引退。そして税理士への道を歩み始めた。「父が自営業を営んでいた関係で幼少期から税理士事務所へ行く機会があり、おぼろげですがそこで働く人たちに憧れを抱いていました。また、3歳年上の兄が司法書士をしている関係で“士業”という職業が身近な環境だったのかもしれません。ハッキリと “税理士になる”と決めたのは二十歳の時です。俳優業に対して、後ろ髪をひかれる思いは少なからずありました。また、周辺からの反対や説得もすごく受けました。当時はまだ若かったこともあり、大人の方々が諭すという形で“もったいない”と言ってくれたんです。ただ、自分の気持ちは固まっていたので、結果的に周囲の大反対を押し切って勉強を始める、という形になりました。税理士の試験制度や全科目合格する確率は極めて低いとか、そういった話も聞いていましたが、やるだけやってやろう! と。駄目だった時のことは考えていなかったですね。とはいえ、私は高校を中退していたので、受験資格の問題で引っかかり、まずは簿記一級の取得から目指すことになったのです」。「今でも覚えていますが、資格試験予備校のガイダンスに20歳の12月に行って、そこで相談した際に簿記一級の試験まで半年しかなかったんです。通常は1~2年間で合格を目指すカリキュラムなのですが、私はなんとか半年で受かりたい旨を伝えると、それは無理だと軽く笑われました。それで気持ちが固まったんです『絶対に受かってやる!』と。その日から具体的な受験勉強がスタートしました。」 受験勉強への取組みを教えてください。「中学時代は私立に通っていて、大学までエスカレーター式の進学校だったのですが、勉強の成績は学年で下から2番目。 しかも1番下の生徒は学校に来てなかったので、実質ビリだったかもしれません。なので勉強が”得意”という訳ではありません。ただ、数字は好きだったのと、“無理”だと言われると、むしろ挑戦したくなるのが私のバイタリティーなんです。税理士を目指して予備校に通い始めてからは、毎朝教室へ行って、授業が終わった後も自習室で21時まで勉強、そこから帰宅後に深夜2時~3時まで取り組んでいました。それを週7日ぶっ通しで繰り返し、睡眠時間は平均4時間ぐらいだったと思います。受験まで半年しかなかったこともあり、日に数コマ分の授業をテープの早巻きで聞いて、それが終わると問題を解く。ひたすらそれを反復しました。結果6ヶ月後の簿記一級の試験に受かったんです」。その後、科目試験の学習に取り掛かるのだが、呉村氏を悩ませたのは意外にも“友人”だったという。 2018.04.02
  • ベンチャーファーム 税理士法人チェスター 荒巻 善宏氏

    新たな波が起きている今、注目のベンチャーファームの成長の極意をご紹介。今回は、開業10 年で日本を代表する相続税専門事務所をつくり上げた税理士法人チェスターの代表・荒巻善宏氏に話を聞きました。 3,000 事務所の会員組織を構築当法人は、私と福留(共同代表の福留正明氏)が26歳のときに設立しました。開業前の1年間は2人で同じ部屋に住み、毎日戦略会議。その中で、高齢化により相続マーケットが拡大していくことや、相続税を得意とする事務所が少なかったこと、なにより仕事にやりがいがありそうという点から、相続に特化することに決めました。開業当時の顧客獲得のための広告は、ウェブだけでした。当時はホームページで相続をうたっている事務所が少なかったので、リスティング広告が効いたのです。先行者利益ですね。でも、すぐにほかの事務所もリスティング広告を出し始めると考えていましたから、並行して金融機関などに営業も行っていました。現在の集客の割合は、ウェブが3〜4割、紹介が6〜7割。紹介ルートで増えてきているのは会計事務所です。これは、2013年から始めた『チェスター相続ビジネスクラブ』という会計事務所向けの会員組織があるためです。実は、この組織をつくった目的は、案件獲得よりも私たちのノウハウを知ってもらうためでした。若い2人の事務所なので、〝チェスターは営業が強い〞と思われがちだったのですが、開業以来こだわってきたのは、〝クオリティー第一〞。実務に自信があることを知ってもらうには、自分たちのノウハウを公開することが必要だと考えたのです。すると、「ここまでやっているなら」と応援してくださる先生が増え、紹介をもらえるようになりました。いまでは3,000事務所が加盟しています。一方で、これまでご依頼いただいたお客様の会員組織『チェスター相続クラブ』もあります。年4回の会報誌で新たな税制の紹介をするなど、継続的なつながりを持つことで、以前お手伝いしたご家族からの二次相続や生前対策のご相談も増えています。 2018.04.02
  • 税理士松本崇宏が説く。独立するということ 「大切なのは覚悟。そして目的を明確にすること」vol.2

    準備期間も潤沢な独立資金もない中で独立開業を果たした税理士法人松本代表の松本崇宏氏。現在、事務所規模は50人を超え、全国に支店展開も進んでいる。松本氏が実践する事務所の成功の秘訣とは?  Q.今年で開業12年目を迎えられて、今までの事務所経営の中で失敗や後悔はありましたか?お酒の失敗はあっても実務の大きな失敗や後悔はないですね。そもそも、半分ノリで税理士を志し、資金も事前準備もないまま独立しているわけですから、「あのときもっとこうしておけば」と考える時間があるなら、私は前に進むことを考えて今までやってきました。もう一度お話しますが、大切なのはノリと行動力、あとマーケティング力です!まず経験してみる。そしてダメだったらその時にまた考える。このスタンスは独立開業時も今も全く変わりません。実は、弊社は今年、大阪に支店を出すんですが、別にこれ以上支店を出さなくても事務所としては困ることはない。正直なところ20~30人で事務所が回っていれば事務所は安定すると思います。ただ、働く従業員のことを考えた時、みんなで夢を見るためには事務所は拡大したほうがいい。たとえば、今30歳の従業員が、40~50歳になったとき、結婚して子供がいるかもしれない、父母の介護が必要になっているかもしれない。家族背景が変わり自分の置かれた状況が変わったとき、必要になるものって、“時間とお金”なんです。そして30歳と40歳を比べてみると、明らかに体力が落ちていて、若い時ほど無理がきかなくなっていると思うんです。そういう未来を見据えた時、経営者はどうすればいいか?従業員がたちがそれぞれ上に立って部下を使って成果をあげていけるようなポストを増やしていくことだと、私は考えています。働く従業員たちの未来を想像し実際に行動に移していくことが、人を雇う経営者の努めであり、継続企業としての使命だと考えています。そして、一つの城をまかされたことで、仕事を通して人格形成できるというか、絶対に今よりも成長できると、私は従業員たちを信じています。 Q.ご事務所経営をする上での先生の覚悟ですね実際、弊社は亀戸や横浜に支店展開していますが、他にも松戸、柏、大宮あたりも考えています。関東圏に展開する分には、予測も立てやすいし私の目も届きます。でも……経営にはノリという要素も必要だと思うんです。アイドルの『5大ドームツアー』みたいなノリで、札幌、名古屋、福岡……全国の主要都市に支店展開するぞ!と。従業員たちと一緒に奮起できるようなノリを求めて、「とりあえず見てくるか!」と、今年中に大阪に出すことにしたんです。 Q.独立時に大切にしたことはなんですか? 2018.03.29
  • 成功者に学ぶ!独立・開業テクニック〜森下敦史税理士事務所【前編】〜

    “士業”の道を志したからには、「独立」というフレーズに誰しも一度は憧れるもの。本企画は、その夢を実現し、躍進を続ける会計業界の先輩方を直撃取材!その“成功”の秘密を余すところなく、細かく、実用的に、明日すぐにでも独立したい方向けに……赤裸々に堂々と公開いたします!! 開業一年前から行動開始!準備は念入りに‼記念すべき第一回目の講師は、銀座一丁目、歌舞伎座から徒歩5分の超好立地に事務所を構える“森下敦史税理士事務所”代表、森下敦史氏です。 具体的な“開業講座”に入る前に、森下先生の税理士ヒストリーを伺ってみましょう。「税理士を明確に目指したのは大学生のときでした。簿記の試験を受けたときに、将来は税理士になって独立しようと。そもそも自分には会社員として就職して務めるイメージが湧きませんでした。おそらく父が経営者だったので、その影響だと思います。業種は全然違ってアニメーション制作なのですが、漠然とした範囲で自分の将来像を描いていたのだと。そして2000年に大学を卒業後、税理士資格取得のため就職はせずに3年間はアルバイトをしながら試験勉強をしていました。その後、会計ソフト会社や会計事務所に就職するなど紆余曲折を得て、2011年に全科目を合格。2013年9月には開業登録し、11月に銀座8丁目に事務所を構えました。2017年5月には事務所を引っ越し、現在に至っています。」 Q.事務所の位置を決めるにあたっては、考慮した点や掛かった費用は?A.最初は自宅で開業、といった先生も多くいらっしゃいますが、私はブランディングを強く意識しました。しっかりとした事務所を、確固たる場所に設置することで、お客様が受ける印象は大きく違います。私の場合、最初の事務所を“銀座”に構えたのはそういった意味です。知り合いから“転貸借”という形をとったので、保証金はなく、家賃はお支払いしましたが一般の市場よりだいぶ安く抑えることができました。とはいえ賃料は月15万円。開業したての税理士が支払う事務所家賃としては厳しい額だと思います。が、これが結果的にはブランディングの確立につながったと考えています。 Q.“開業”をする前にするべきことは? 2018.03.27
  • 税理士松本崇宏が説く。独立するということ 「大切なのは覚悟。そして目的を明確にすること」vol.1

    関東を中心に3支店を構え50人の従業員をかかえる税理士法人松本。2006年の独立開業から、現在に至るまでの波乱万丈の日々を語ってもらった。  Q.先生が税理士を志したきっかけからお伺いできますか?いちばん最初の動機はものすごく不純、というか軽いもので、熱い想いのようなものがあったわけではないんです。大学3年生の頃、周りの友人たちが就職活動に勤しむ中、私はその波に乗り切れずにいました。簡単に言うと、面倒臭くなってしまったんです。当時は、今よりもっと年功序列の風潮が強くて、「一般企業に入ると嫌な上司からごちゃごちゃ言われるんだろうな」……と。私は“一般企業に入る”という選択肢に、明るく楽しい未来を想い描くことができなかったんです。とはいえ、何か行動を起こさなくてはいけない。私の家は父親が弁護士だったので、“士業でも独立開業できるんだよな……よし社長になろう!”と思ったんです。私は、すぐに書店に行きました。『誰でも○○になれるシリーズ』のような資格本を片っ端から立ち読みし、その中の一冊に税理士について書かれたものがあったんです。しかも試験制度は科目合格制、私はすぐに「これだ!」と思い、書棚の隣ににあった専門学校のパンフレットの連絡先に、その場から電話しました。「入りま〜す!」みたいな軽い気持ちでした。あとは、“お金”っていうのもありました。実際、サラリーでもらうことに限界というか上限があると考えていました。 Q.収入面ですか?そうですね。実は、学生時代に好きだったコが大手の広告代理店に就職したんです。当時の大学生からしたら、広告代理店なんて、それはもう華やかな世界だったんです。周りからもチヤホヤされる彼女を見ていて、それがもう悔しくて悔しくて……そのとき「20代で1千万円プレイヤーになろう!」って決めたんです。就職活動という現実から逃避し、20代のサラリーマンが稼げないような額を稼いでやる!という不純とも言える動機が、私が税理士を志したきっかけです。 Q.その後、どのような流れで資格取得されたんですか?在学中に財表(財務諸表論)だけ取って、それから大学院で2科目取得しました。大学院組ってその後の就職が大変だと分かっていたので、卒業前に実務経験を持って社会に出たいと考え夜学を選択しました。昼間働いて夜勉強をする生活を2年間続けました。卒業後は、個人の税理士事務所に勤めながら残りの科目を取りました。 Q.独立はいつ頃から意識されていたんですか? 2018.03.26
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