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  • 司法書士法人コスモ 山口里美氏がコスモの夜明け前を語る

    数ある司法書士法人の中でも、国内トップクラスにランクインするコスモグループの代表・山口里美(やまぐちさとみ)氏。創業時よりいち早く「法律業は“先生業”ではなく“サービス業”」と謳い、サービス精神を非常に大切にしてきたパイオニアである。また、“女性の大型司法書士法人の代表”としても非常に動向が気になる存在である。2018年には21周年を迎えグループ全体で9支店、今後も支店を拡大予定と更に躍進を続けている。本インタビューではそんな山口氏の事業黎明期を詳しく伺わせて頂いた。 開業のきっかけは父の重病余命3ヶ月のうちに晴れ姿を見せたい「開業したのは1997年、東大阪市に事務所を持ちました。この“独立”ですが、実はあるきっかけから唐突に決めたことなんです。それは父の病気、ガンです。既に現代の医学では治療が難しい段階まで進行しており、余命3ヶ月と告知を受けました。最初は民間療法など模索し続けたのですが、いよいよ後いくばくも無い。という状況になりました。その当時、私は司法書士事務所に勤務していたのですが、何とか父の目が黒いウチに“独立して一国一城の主”という自身の晴れ姿を見せて喜ばせてあげたい!その一心から、当時の貯金300万円をすべて注ぎ込み開業しました。ただ、やはり業務を受任したその姿こそが真の晴れ姿。私は開店祝いに同僚から頂いた自転車に乗って、金融機関や税理士事務所へご挨拶に大阪中を日に40キロぐらい駆け回りました。その当時“女性司法書士”は極めて少なく、まだ世間では『女の司法書士にはちょっと……。』といった偏見を持った方も多かったため、ご挨拶をしても取り付く島なし……。そんな日々が続いたんですね。一方、父に残された時間はあと僅か。疲れても休んでいるヒマはありません。とにかく夢中になってペダルを漕ぎ続けたのです」。 旅行代理店に勤めるも司法書士を目指して猛勉強!女性の司法書士が珍しい時期に、お父様の容体から急遽、独立・開業をすることに。では……なぜ山口氏はこの“司法書士”という世界を選んだのか?開業後の話の顛末は最後に伺うことし、その辺りを話してもらった。「法律にはじめて触れたのは、旅行代理店に勤務していたときのことです。私は卒業後、キャビンアテンダントになりたかったのですが、その年は不況で航空会社は軒並み新卒採用を控えました。その時は本当にガッカリしましたね。ただ、悩んでばかりもいられませんので、今まで勉強してきたことを活かせる職場を……と考えて冒頭で述べた通り旅行代理店に籍を置きました。そして、業務の一部として“旅行業務取扱主任者”(現・総合旅行業務取扱管理者)の資格試験の勉強をしてたときに転機は訪れました。この学習で“法律”というものに興味を抱き、そこから司法書士を目指して一念発起。『司法書士になるので退社致します!』6年間務めた旅行代理店にその胸の内を宣言して退職し、昼間は法律事務所に勤務、夜は資格試験予備校という2足のわらじ生活をはじめました。司法書士試験の学習プランは15ヶ月1クール。私はそこに3年間通学し、ようやく受かりました。2年目に失敗した際は……動揺しました。退職時に宣言していたこともあって、後に引けなくなっていましたので焦る気持ちがこみ上げてきたんです。そこで3年目は勉強方法を変更します。すでにかなり手広く問題は解いておりましたが、とにかく過去問を繰り返し解く、という方式に変えました。司法書士試験は問い方や注目するポイントは変わるものの、同じような内容からの出題が多いので。私は何度も繰り返し解き、最終的には完全に暗記するレベルに達しました。学習時間をキープするため法律事務所の勤務も最後の半年間はお休みを頂き、1日12時間ずつ毎日、勉強しました。するとどうでしょう。答案練習会での順位が面白いぐらい上がっていきました。だいたい常に1~2位にライクインするようになり、その年、とうとう合格して司法書士の資格を得たのです。やっと、やっと……という思いでした」。合格後は司法書士事務所へ所属を変え、そして自身も“司法書士”として勤務をするようになった。それから3年後の、唐突の独立であった。そもそも開業を考えていなかった山口氏。実務は行っていたとはいえ準備ゼロだった状況からいかにして事務所を盛り上げていったのか。  2018.04.18