2023.09.25
インボイス制度(適格請求書等保存方式)への対応に関するお知らせ

2023年10月01日(日)より、インボイス制度(適格請求書等保存方式)が開始されますので、弊社の同制度への対応についてお知せいたします。

弊社ではインボイス制度の対象となる課税取引のご利用について、
2023 年10月以降の決済分より、同制度の要件に対応できるようにいたします。

【当行適格請求書発行事業者登録番号のご案内】
株式会社アックスコンサルティングの登録番号をご案内いたします。

適格請求書発行事業者登録番号
T9011001004344
 

司法書士法人コスモ 山口里美氏がコスモの夜明け前を語る

司法書士法人コスモ 山口里美氏がコスモの夜明け前を語る

数ある司法書士法人の中でも、国内トップクラスにランクインするコスモグループの代表・山口里美(やまぐちさとみ)氏。創業時よりいち早く「法律業は“先生業”ではなく“サービス業”」と謳い、サービス精神を非常に大切にしてきたパイオニアである。
また、“女性の大型司法書士法人の代表”としても非常に動向が気になる存在である。2018年には21周年を迎えグループ全体で9支店、今後も支店を拡大予定と更に躍進を続けている。

本インタビューではそんな山口氏の事業黎明期を詳しく伺わせて頂いた。

 

開業のきっかけは父の重病
余命3ヶ月のうちに晴れ姿を見せたい

「開業したのは1997年、東大阪市に事務所を持ちました。この“独立”ですが、実はあるきっかけから唐突に決めたことなんです。それは父の病気、ガンです。既に現代の医学では治療が難しい段階まで進行しており、余命3ヶ月と告知を受けました。最初は民間療法など模索し続けたのですが、いよいよ後いくばくも無い。という状況になりました。
その当時、私は司法書士事務所に勤務していたのですが、何とか父の目が黒いウチに“独立して一国一城の主”という自身の晴れ姿を見せて喜ばせてあげたい! その一心から、当時の貯金300万円をすべて注ぎ込み開業しました。

ただ、やはり業務を受任したその姿こそが真の晴れ姿。私は開店祝いに同僚から頂いた自転車に乗って、金融機関や税理士事務所へご挨拶に大阪中を日に40キロぐらい駆け回りました。
その当時“女性司法書士”は極めて少なく、まだ世間では『女の司法書士にはちょっと……。』といった偏見を持った方も多かったため、ご挨拶をしても取り付く島なし……。そんな日々が続いたんですね。
一方、父に残された時間はあと僅か。疲れても休んでいるヒマはありません。とにかく夢中になってペダルを漕ぎ続けたのです」。

 

旅行代理店に勤めるも
司法書士を目指して猛勉強!

女性の司法書士が珍しい時期に、お父様の容体から急遽、独立・開業をすることに。
では……なぜ山口氏はこの“司法書士”という世界を選んだのか? 開業後の話の顛末は最後に伺うことし、その辺りを話してもらった。

「法律にはじめて触れたのは、旅行代理店に勤務していたときのことです。私は卒業後、キャビンアテンダントになりたかったのですが、その年は不況で航空会社は軒並み新卒採用を控えました。その時は本当にガッカリしましたね。ただ、悩んでばかりもいられませんので、今まで勉強してきたことを活かせる職場を……と考えて冒頭で述べた通り旅行代理店に籍を置きました。そして、業務の一部として“旅行業務取扱主任者”(現・総合旅行業務取扱管理者)の資格試験の勉強をしてたときに転機は訪れました。

この学習で “法律”というものに興味を抱き、そこから司法書士を目指して一念発起。『司法書士になるので退社致します!』6年間務めた旅行代理店にその胸の内を宣言して退職し、昼間は法律事務所に勤務、夜は資格試験予備校という2足のわらじ生活をはじめました。
司法書士試験の学習プランは15ヶ月1クール。私はそこに3年間通学し、ようやく受かりました。2年目に失敗した際は……動揺しました。退職時に宣言していたこともあって、後に引けなくなっていましたので焦る気持ちがこみ上げてきたんです。
そこで3年目は勉強方法を変更します。すでにかなり手広く問題は解いておりましたが、とにかく過去問を繰り返し解く、という方式に変えました。司法書士試験は問い方や注目するポイントは変わるものの、同じような内容からの出題が多いので。私は何度も繰り返し解き、最終的には完全に暗記するレベルに達しました。学習時間をキープするため法律事務所の勤務も最後の半年間はお休みを頂き、1日12時間ずつ毎日、勉強しました。
するとどうでしょう。答案練習会での順位が面白いぐらい上がっていきました。だいたい常に1~2位にライクインするようになり、その年、とうとう合格して司法書士の資格を得たのです。やっと、やっと……という思いでした」。

合格後は司法書士事務所へ所属を変え、そして自身も“司法書士”として勤務をするようになった。
それから3年後の、唐突の独立であった。そもそも開業を考えていなかった山口氏。実務は行っていたとはいえ準備ゼロだった状況からいかにして事務所を盛り上げていったのか。
 

リスクはハナから承知
とにかく必死!

「東大阪市の布施という場所に事務所を借り……というか、なんとか形だけ整えたんです。そこに机と応接セットを買い、パソコンを購入して。ただ、コピー機はお金が足りず買えませんでした。当時はまだパソコンが高くて40万円ぐらい、プリンターも価格は忘れましたが結構高く、FAXは中古。部屋の保証金を払ったらもう何も残りませんでした。賃料は月7~8万円でした。銀行の融資とかそういった方法は時間の問題もあって、できません。この頃は社用車などはありませんから、同僚からもらった自転車で東大阪市から東は生駒山のふもとまで、南は八尾市の辺りまでをグルグルとご挨拶に回りました。当時はタウンページに住所が載ってましたので、税理士さんの事務所と銀行を中心に伺ったんですね。
その影響で、ある日、銀行から電話がかかってきたのです。“いよいよ1件目のお仕事のご依頼かも!?”と、胸が高まる中、電話の向こうから出てきた言葉は『もう二度と来るな! アンタに頼む仕事は無いよ!!』強烈な罵声でした。ただ、しゅんと落ち込んでいる時間はありませんでした。父の容体は日に日に悪くなっていきましたので、夢中でペダルを漕ぎご挨拶に回りました。
そうこうしていると、ある税理士さんの社員さんが偶然にも私と同じ名前だったんです。それが縁になって商業登記の仕事を“初仕事”として頂戴できました。その日の晩、病室で父に報告すると、『よかったな』と本当に喜んでくれてました。4月1日に開業し、この月は計4件のお仕事を受任できました」。

当初の目的である、父の喜んでくれる姿を見ることは無事に叶えることができた(4月30日没)。もともと開業を考えていなかった山口氏だが、その後の経営が気になるところである。


「実は開業2ヶ月目に、従業員を一人雇ったんです。勤めていた事務所時代の知り合いなのですが、私が開業後、連絡して仕事が取れた旨を伝えたら、なんとそちらを辞めて私のところに来てくれたんです。この補助者はその時以来、今も東京本部で一緒に仕事をしてくれています。ただ、そうなると給与を支払わなければならないわけです。順序は逆なんですが、その分、頑張らなければと。なんとか売上をキープして、借入をせずともやりくりできました。初年度の売上は……ハッキリ覚えていませんが1千万円はなかったと思います。
やはり最初の頃は地域に昔からいらっしゃる二代目・三代目の先生方がいらっしゃいましたから、不動産登記には参入できず、もっぱら業務は商業登記がメインでした。ところが、だいぶ後の話になりますが法人化をして金融機関とのお付き合いが生まれてから、かなり大規模な金融機関の全国支店全体の住宅ローン設定登記のご依頼を頂きました。それが一つのモデルケースになりまして、他の金融機関からも同様のご依頼を頂けるようになりました。また、近年では相続などの案件も増えており、行政書類の取得などの機会も増えていますので行政書士法人の拡大も考えています」。

 

グループの拡大と共に
コスモのマインドが広がる

唐突な開業なだけに、事務所の立地についてはどのように決めたのだろうか? 保障金を考えると、独立間もない頃はもっとも高価な買い物になるはず。士業ならずとも、事業を起こす人間なら重要な課題だ。この辺を伺ってみた。

「事務所の場所に、東大阪市を選んだ理由は2つあります。1つは中小企業が多いこと。2つ目は以前に勤めていた事務所と商圏が被らないことです。やはり前職の先生にはお世話になりましたので、最寄り駅はズラさないといけないと思いました。開業が突然だったこともありますが、勤務時代からのお客様を呼び込むようなことはしません。顧客ゼロからのスタートです。
この時はともかくとして、現在の支店の設置する要件はとにかく“駅から近いこと”です。司法書士業務では本人確認が必要ですので、お客様が来店しやすいというのは重要なポイントになります。メインの駅から徒歩圏内というのは絶対で、ほとんどは5分以内です。現在、本店を東京駅の目の前(八重洲ブックセンターすぐ)に置いている理由もまさにそれですね。また、かつて、名古屋、福岡、仙台の支店は応接室などを共有する“インキュベーションオフィス”を使っていた時期もあります。従業員が増えるようなら新たに事務所を借りて引っ越す、という方式を取っていました。
出店に関しては、”コスト的に無理はしない”ということを心掛けています。また、支店は周辺を広く網羅できる都市を選ぶようにしています。例えば、岡山市に設置することで県内はもちろん、四国もフォローするような形式ですね。」

現在、全国に9拠点。大まかなエリアは網羅できるだろう。しかし、島国といえど日本の国土は38万平方メートル。その全エリアを隙間なく対応するには限界がある。その点については次のように語った。

「近いウチに北海道にもう一支店を予定しており、関東にも出店したいと考えています。当事務所の一部は“コスモ”の看板を抱えていますが、経営には直接タッチしていないフランチャイズのような支店なんです。これはコスモのやり方で、司法書士は先生業ではなく、サービス業というマインドに賛同いただける個人事務所の方と一緒にやらせてもらっています。嬉しいことにこうした申し出は先方の方から頂けている状態です。
また、日本の各地に拠点を置いていますが、まんべんなく……というのは難しいです。なので、“復代理”という形式で約500の事務所と関係を結んでいます。やはり、人のつながりは常に大切にしていますね」。

全国にネットワークを張り巡らし、業界に広く交流をもっている山口氏。その無尽蔵のバイタリティーの根源となるものは何か? ここにも実は理由があった!

「私は平成5年に司法書士試験に合格したのですが、その世代には非常に意識の高い士業の先生が多いんです。AIグローバル代表の上野興一先生は受験時代の知り合いですし、司法書士法人ソレイユの河合保弘先生も同期だったりと、偶然なのですが良きライバルというか、非常に触発される環境にいます。私自身、現在は司法書士法人協議会の理事をしておりまして、今でも定期的に情報交換をしています。また、知事をお勤めになられた弁護士の橋下徹先生とは世代が近く、一時期同じグループで活動をしていたこともありました。周辺の方から受ける影響は大きいですね。」

他業種から法に興味を持って飛び込んだ“司法書士”の世界。最初は”先生業”という、特殊な環境に驚きを隠せなかったという山口氏。そこへ自身の培ったサービス業のマインドを持ち込み、当時は女性ということで偏見を受けつつも、その逆境をむしろ強みとし拡大を続けるコスモグループ。最後に拡大には欠かせない“人材育成”について語って頂いた。

「どうしても従業員が多くなると、私自身の目が届かなくなりますので、問題が起きることがあります。そこで東と西に分け定期的にマナー研修を設けて、名刺サイズのクレドカードを作りました。蛇腹折りで持ち歩きが容易です。これを各支店ごとに毎朝、朝礼で唱和しています。また、20周年を迎えた際に、記念パーティーを帝国ホテルで開きました。
私はこういったことは過去一度もしたことがなかったんです。何か”運が逃げてしまう”そんな想いがありまして。ただ、今回はそれをあえて実現したのは、単純に記念という意味だけでなく、従業員がどういったこと考えているか、という点を一度すり合わせしたかったのです。2年前からは、慰安旅行を行うようになりました。私はともかく、他の支店の従業員どうし直接顔を合わせる機会は、出張でも行かないとないものですから、この時の宴会で初めて顔を合わせたという人も多かったと思います。大型バス2台での大移動になりましたが、旅行代理店に勤めていましたから(笑)。当時お世話になった先輩にお願いしました」。


プラス20%の心で、120%の感動的なサービス”をモットーに、業界に革命を起こしてきた山口氏。父に、独立した華々しい姿を見せたいという想いから、必死に取り組んだ黎明期。
その時から20年が経過したが、本インタビューを伺わせて頂いた印象は、その開業時から少しもブレていない。人との付き合いも然りで、山口氏は開業期から付き合いがある税理士や、最初の事務所のオーナーなど、長期にわたって人間どうしの付き合いを大切にしているのだ。事務所が拡大し、従業員が増え、ある程度は時代に伴っての采配も必要だが、”大切な想い”は何年経っても風化はしないのだ。
 
プロフィール
山口 里美(やまぐち さとみ)氏
司法書士法人コスモ 代表社員
行政書士法人コスモ 代表社員
株式会社コスモホールディングス
代表取締役

経営理念:「+20%の価値で感動のサービスを」をスローガンに、お客様の期待を超えるサービスによる「お客様に120%の満足」を提供する司法書士法人・行政書士法人です。
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