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【税理士を変更した理由】従業員があげた悲痛の声! 弱者に強く税務に弱い、自称敏腕税理士 記事

【私が税理士を変更した理由】従業員があげた悲痛の声! 弱者に強く税務に弱い、自称敏腕税理士 工務店経営奥平社長(仮名)の告白
 

【税理士を変更した理由】工務店経営奥平社長(仮名)の告白

私は、沖縄本島から南に230キロ、青い海と豊かな大自然に囲まれた宮古島の生まれです。
大学合格と同時に上京し学生時代はクラブ活動に明け暮れ、六本木、西麻布、芝浦と夜な夜な繁華街で過ごす毎日。そのうち、都内に飽きると、よりディープな刺激を求め、巡り巡って横浜に流れ着いたのです。

当時、日本でいちばんブラックミュージックのCDが売れる街だった横浜は、私のいちばん落ち着く居場所になりました。石川町で朝まで遊んでそのまま早朝の市場で朝ごはん。そんな学生時代を過ごしました。

しかし、時間は残酷なもので、楽しいだけの時間ほど長続きしないものです。大学4年の夏も過ぎ、ある友人は就職先が決まり、またある友人は大学院に進学、経営者を目指し勉強を始める友人もいました。金曜日の夜になると、なんの約束もなく自然と集まっていた友人たちも、皆それぞれの道を進み始めたのです。まるで、顧問契約が切れたかのように……。

結局、進むべき方向も見いだせないまま卒業した私は、久しぶりに家族の待つ島に帰りました。
家族を驚かそうと、何の連絡もせず島に戻った私。実家に差しかかった時、家から出てきた両親とばったり会ったのです。

久々に会う息子の予期せぬ帰省、きっと両親は喜んでくれるはず……と思っていました。

「誰?」

母親が口にしたその一言。
両親たちは、東京の生活で変わり果てた私を、ひと目で理解できなかったのです。もちろん、すぐに息子だと気が付いてくれましたが、あのときの、他人を見るような冷めた母の視線が、「このままではいけない!」と私に気づかせ、進むべき道を決定づけたのです。

私は一念発起し、元々インテリアが好きだったこともあり、東京で小さな工務店を営むことにしました。

それから数社で修行を積んだ私は、満を持して独立。事務所探しと並行しながら金策に明け暮れ、いくつもの会計事務所を回り、創業支援や融資に強いと評判の税理士さんのおかげで、なんとか起業にこぎつけたのでした。

あの日から、8年。仕事も軌道に乗り、従業員も増え、細々ながらもしっかりと地に足を付けて経営を続けていました。
そんなある日……

「もう限界です!」

経理の女の子から突然切り出されたのです。彼女は初めて新卒採用した子で、若いながらも気が利き、なによりも頑張り屋でした。

よくよく話を聞いてみると、開業時からお世話になっている税理士先生に原因の一旦があったのです。
 
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