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士業の独立・拡大の轍を追う! OCパートナーズ代表 税理士・呉村哲弘氏【後編】
元関西ジャニーズJr.という異色の経歴から、20歳の時に税理士を目指して猛勉強開始。若干26歳にして独立したOCパートナーズ・代表の呉村氏だが、その後、ある一つの決断に至る。それは上京して、事務所を拡大するというもの。2万以上の事務所がひしめき合う(経済センサス調べ)東京進出への挑戦から、10周年を迎える現在に至るまでの軌道を、前回に引き続きプロパートナー編集部ならではの“実務という観点”から具体的に聞いてみた。 事務所が安定するやいなや、全財産を投入しての東京進出!東京へ進出した時のことを教えてください。「開業から3年目、29歳の年に東京へ店舗を構えることにしました。当時は結婚もして業務的にも金銭的にもある程度充実していたので、安定を望むならこのままでも……という考え方もありました。しかし、一方では、“このまま生涯ずっと大阪でやっていくこと”に繰り返し自問自答している自分もいました。いっそ、個人事業主から法人化して東京へ進出……。思いは徐々に強くなっていきます。そしてある夜、妻も子供も寝静まった自宅のリビングで、一人お酒を飲みながら本やブログを読み漁っていた時、明確に“東京へ進出しよう”と決断しました。何の本だったかは覚えていませんが、“立ち止まらずにやってみなよ!”といったような内容だったと思います。2日後には都内で新しい事務所物件を探しに、駆けずり回っていました」。税理士試験の時と同じく、思い立ったら“即実行”が呉村氏のスタイル。しかしながら、この進出は、3年間で貯めた全財産を投入するという非常にリスクの高いものとなった。既に大阪の事務所では従業員もいたため、仮にうまくいかなかった場合はすべてを失う可能性も高い。「一歩間違えば、危機的状況になることはわかっていましたから、これから開業する方や、既に開業している方に上京して展開することを勧められるかというと、ちょっとどうかなと思います。私の場合、20歳で税理士を目指すまで、一時期東京に住んでいたので、仕事のみでなく、たくさんの友人知人がいました。東京進出を決められた理由の一つにそういった人脈の部分もありましたね」。 進出後の具体的な戦略を教えてください応接室の一角。税理士事務所とは思えない選書が。「差別化……つまり、ブランディングが大切だと考えています。現在もそうですがインターネットで集客するにあたり、お客様に選んで頂けるホームページが必要です。ベースは広告ですが、たくさんの税理士事務所の中でいかにオンリー・ワンになれるかです。カッコ良いものでなくてもいい、ダサくてもいい。そのためにもホームページの動画や、事務所の内装など、仕掛けづくりを徹底し、最終的にお客様に“いいな”と思って頂けることを心がけています」。 OCパートナーズは現在、新設法人の設立業務に“特化”していますが、その理由はなんですか?
2018.04.10
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士業の独立・拡大の轍を追う! OCパートナーズ代表 税理士・呉村哲弘氏【前編】
2018年、独立から10周年を迎え、更なる躍進を続ける『税理士法人OCパートナーズ』代表・呉村哲弘(くれむらあきひろ)氏。26歳の時に地元・大阪にて独立、29歳で東京へ進出と、順風満帆に歩んできたかに見えるその輝かしい事務所経営だが、そのひとつひとつを紐解くと、そこには人生を揺るがす、大きな選択と決断の連続であったという。今回、私たちプロパートナーONLINE編集部は、呉村氏の半生を振り返りながら、開業・経営について具体的に伺ってみた。 元関西ジャニーズJr.から俳優へ。そのキャリアをすべて捨て、税理士を目指す税理士を目指したきっかけとその歩みを、教えてください。呉村氏は、20歳の時に税理士を目指し試験勉強を開始するのだが、それ以前の経歴がいわゆる“一般の税理士”とは大きく異なっている。14歳で関西ジャニーズJr.として芸能界入りし、その後、俳優を志し上京。映画に主演するなど躍進著しいそのタイミングで、まさかの俳優業引退。そして税理士への道を歩み始めた。「父が自営業を営んでいた関係で幼少期から税理士事務所へ行く機会があり、おぼろげですがそこで働く人たちに憧れを抱いていました。また、3歳年上の兄が司法書士をしている関係で“士業”という職業が身近な環境だったのかもしれません。ハッキリと“税理士になる”と決めたのは二十歳の時です。俳優業に対して、後ろ髪をひかれる思いは少なからずありました。また、周辺からの反対や説得もすごく受けました。当時はまだ若かったこともあり、大人の方々が諭すという形で“もったいない”と言ってくれたんです。ただ、自分の気持ちは固まっていたので、結果的に周囲の大反対を押し切って勉強を始める、という形になりました。税理士の試験制度や全科目合格する確率は極めて低いとか、そういった話も聞いていましたが、やるだけやってやろう!と。駄目だった時のことは考えていなかったですね。とはいえ、私は高校を中退していたので、受験資格の問題で引っかかり、まずは簿記一級の取得から目指すことになったのです」。「今でも覚えていますが、資格試験予備校のガイダンスに20歳の12月に行って、そこで相談した際に簿記一級の試験まで半年しかなかったんです。通常は1~2年間で合格を目指すカリキュラムなのですが、私はなんとか半年で受かりたい旨を伝えると、それは無理だと軽く笑われました。それで気持ちが固まったんです『絶対に受かってやる!』と。その日から具体的な受験勉強がスタートしました。」 受験勉強への取組みを教えてください。「中学時代は私立に通っていて、大学までエスカレーター式の進学校だったのですが、勉強の成績は学年で下から2番目。しかも1番下の生徒は学校に来てなかったので、実質ビリだったかもしれません。なので勉強が”得意”という訳ではありません。ただ、数字は好きだったのと、“無理”だと言われると、むしろ挑戦したくなるのが私のバイタリティーなんです。税理士を目指して予備校に通い始めてからは、毎朝教室へ行って、授業が終わった後も自習室で21時まで勉強、そこから帰宅後に深夜2時~3時まで取り組んでいました。それを週7日ぶっ通しで繰り返し、睡眠時間は平均4時間ぐらいだったと思います。受験まで半年しかなかったこともあり、日に数コマ分の授業をテープの早巻きで聞いて、それが終わると問題を解く。ひたすらそれを反復しました。結果6ヶ月後の簿記一級の試験に受かったんです」。その後、科目試験の学習に取り掛かるのだが、呉村氏を悩ませたのは意外にも“友人”だったという。
2018.04.02
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【若手所長の開業日記】「身近な人たちの役に立ち、力となることで、地域に貢献したい」と大阪で“第二の開業”を決断
「はじめの独立の動機は『一国一城の主になりたい』という漠然としたものでした」。平安宏充氏(公認会計士・税理士)はこう語ります。監査法人勤務中から独立を考えており、2007年に退職後、東京で開業しました。東京で順調にビジネスを展開してきた平安氏。一方で出身地の大阪での人脈も豊富に築いてきました。学生時代の友人・知人から「起業する」「親の事業を継いだ」「親の相続が発生した」といった相談を受ける機会が増え、東京と大阪との距離がボトルネックになることを痛感したといいます。元来から人脈を大切にして、ビジネスにつなげることを得意としていた平安氏。今後も人脈からの紹介をベースに事業を広げていこうと考えていました。「身近な人たちの役に立ち、力になることで、地域に貢献したい」と、大阪での“第二の開業”を決断しました。 2015年上半期は約10件の新規顧客を獲得大阪に事務所を移してからも、東京の既存顧客とのつながりは変わらず。コンスタントに上京して対応していました。2014年からは「大阪でのお客様を増やそう」と、営業活動に本腰を入れました。既存の人脈からの紹介を強化して、2015年上半期は約10件もの新規顧客を獲得しました。「大阪で“第二の開業”をして、独立の理由が明確になった気がします」と語る平安氏。2015年7月には事務所を大阪・梅田に移し、顧客への「お役立ち」のグレードを高めようとしています。 プロフィール平安 宏充(ひらやす ひろみ)氏 1977年 大阪生まれ2002年 中央青山監査法人入所2006年 公認会計士登録2007年 桜友共同事務所(現・清陽監査法人)入所、平安宏充会計事務所設立2012年 事務所を大阪に移転平安宏充会計事務所(大阪府大阪市)会社設立、資金調達などに強みを発揮。2015年7月に大阪府池田市から大阪・梅田に移転。
2017.12.22
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