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コミュニケーション

  • 【税理士を変更した理由】父から会社を受け継いで驚愕の事実が発覚! 父との関係に甘えてなにもしない“やるやる”詐欺税理士

    人間関係だけで乗り切ろうとして実際は何もしない“やるやる”詐欺税理士ではなく、積極的に経営計画を提案してくれる癒着無しのクリーンな税理士さんを紹介してください! 飲食店経営 横峯社長(仮名)の告白私は5年前、国内に200店舗のチェーン居酒屋を運営する東京の大手飲食店に勤めていました。その企業は、海外にも日本食レストランを展開していたため、私は入社から2年でサンフランシスコに転勤することになりました。そのレストランで働く日本人は、私と一緒にサンフランシスコに配属となったY君の2人だけ。私たちが、そこで働くアメリカ人に日本食の作り方やホールでのお客様対応などについて教えるということが課せられた2人の任務でした。私はその後、サンフランシスコでの任務を終え、ハワイの日本食レストランへ転勤、1年前に日本へと戻り、会社を退社しました。そんな私の実家は、富山県の片田舎にあり、父は地元では有名な飲食店の経営者です。ゆくゆくは父親の会社を継ぐために東京や海外で武者修行をしており、いよいよ父の会社を継ぐことになりました。経営のノウハウはすでに父から学んでおり、今までに得た知識・経験を従業員に教え、会社に新たな風を吹かせ、「新時代の幕開けだ!」と息巻いていたところ、父から顧問税理士を紹介されました。父とは長い付き合いの個人事務所を営む税理士でしたが、とにかくこの税理士が約束を守らない、最悪の税理士でした。 約束を守らない、最悪の税理士そもそも父は、新店舗の企画・展開については積極的でしたが、経営計画に関しては無頓着で、全て顧問税理士のK先生に任せていました。私が引き継ぐ際に、会社の組織づくりや経営計画を見てみると、ほぼ何も手が付けられておらず、辞めていく社員も多く、売上も年によってばらつきがありました。「今までK先生はどのような仕事をしてきたのだろう?」と疑問に感じましたが、そこは地方の片田舎。そもそも社長である父の人脈や看板が経営に大きく左右しているため、父一人の力で会社を引っ張ってきたのだなぁ、と感じました。早速、引き継ぎのためK先生にお会いしました。K先生は父よりも年上で、高齢の方でした。 NEW 2018.05.21
  • 金曜日の秘書たち「SHGホールディングス 社長秘書・矢島直子さん」

    文化放送・The News Masters TOKYO。毎週金曜日は、常に先を読む繊細な心配りや仕事ぶりをデキる秘書から学ぶ「金曜日の秘書たち」のコーナー。今日お越しいただいたのは、「SHGホールディングス」の社長秘書・矢島直子さんです。  スタジオに登場するなり「おはようございます!おはようございます!おはようございます!」と3回も執拗に挨拶するタケ。公務員を経て今の仕事に就かれた矢島さんですが、「秘書歴は3年」と聞くや否や「3年目っていいですね!」とも答えるタケ。今日はいつも以上に浮足立ってます。  2018.05.18
  • 【税理士を変更した理由】仕事が遅いうえにテキトー! 担当者が替わっても、親がダメなら子は全員ダメ!?

     アパレル業 谷内社長(仮名)の告白私は主人と二人で都内に小さいながらも、自分のこだわりを全て詰め込んだアパレルショップをオープンしました。主人とは10年前、新入社員として入社した大手アパレルチェーンの同期社員として出会いました。「どのお店に行っても似たような商品があふれている」とうんざりしていた私たち二人は「そのまま大手アパレルチェーンで働いて生活を安定させるべき」という互いの両親からの強い反対を押し切り、2年前に40万円という少ない資金でアパレルブランドを起業しました。最初の一年は赤字覚悟でとにかく“質”にこだわろうと、海外での生地の買い付けなどに奔走。そんな努力が報われたのか、若者に人気の女性モデルがSNSで私たちのブランドの服を着た写真をUPしたことで、認知度が急上昇。一気に仕事が軌道に乗り始めました。そんな時、アパレル業界の先輩から在庫の評価や輸出入の管理、工場への発注から決済まで、「節税できるところはしっかり!アパレルは成功してもキャッシュフローを良くする努力が必要」と忠告を受け、大の数字音痴の私は、会計事務所に全て任せることにしました。どの税理士さんに頼むとよいのか、ネットで会計事務所を検索し、“アパレル業界に強い”と評判のO先生の会計事務所と契約をすることに。 担当者を替えるだけでは解決にならない先生の事務所はショップからもほど近い千駄ヶ谷にあり、最初の面談では、とてもアパレル業界に理解もあり、話が順調に進んでいきました。しかし実際に業務をお願いし、担当になった職員・Y君が最悪だったのです。 2018.05.14
  • 士業業界注目の出展企業ブースに直撃!『ビジネスフェア2018 in 東京』レポート~企業インタビュー編~

    今年4月に東京・名古屋・大阪・福岡と4回にわたり開催された『第21回 士業事務所の顧客拡大ビジネスフェア2018』(主催/株式会社アックスコンサルティング)。「士業連携で顧客拡大」をテーマに、税理士・社会保険労務士・弁護士・司法書士それぞれの業界で活躍している先生方を講師に迎え、貴重な講演会を実施。多くの業界関係者も集まり、各地で大盛況のうちに幕を閉じました。このビジネスフェアには士業を支援する業界注目の企業も多数参加し、業界のさらなる発展に寄与。今回、プロパートナー編集部では、約200名が集まった東京会場にて参加企業の出展ブースに直撃取材を敢行。今後の士業業界に寄せる各企業の展望などを伺いました。 士業業界の発展に欠かせない企業が集結! 今後の業界に寄せる各企業の展望とは? 2018.05.08
  • 【私が税理士を変更した理由】こちらから言わないと音沙汰なし“スーパー放置プレイ税理士”にウンザリ!

     南国料理店経営 森社長(仮名)の告白私は現在、都内でも『住みたい街ランキング』の上位に入る人気の駅から、ほんの数駅離れた駅前で、南国料理店を営んでいます。飲み屋が多く人が集まる駅から『ほんの少しだけ離れること』は、お店のコンセプト的に譲れないものでした。元々、大学を卒業後、一般企業の営業職となり成績も悪くうだつの上がらない毎日を送っていました。私はそのストレスをぶつけるかのように、夏も冬もサーフィンに明け暮れ、いつの日か脱サラして自分の店を持ち、自分のペースで生活していきたいと、漠然と考えていました。そんな私も二十代後半に差し掛かり、世間からは「アラサー」と呼ばれる年頃。営業成績も役職も上がらず、変わらず廃人のように平日を過ごし金曜の明け方から海に通う毎日。ある夏の終わりに、茨城の海で砂浜にはまって動けなくなっている一台のボルボ240GLを救助しました。乗っていたのは、日に焼けた肌がとても似合う素敵な女性。彼女は私と同じ歳で共通の趣味を持つことから、いつの日か週末は必ず海で待ち合わせするようになり、冬が終わる頃には私たちは一緒に暮らすようになりました。彼女の実家は茨城で農家を営んでおり、ご両親も跡取りとして農家を継いでくれることを期待していたようですが、私たちは、「居心地のよい店を持つ」という、共通の夢を持っていて、その夢を実現すべく私の地元で南国料理店をオープンさせたのです。「海帰りに立ち寄りたくなる、居心地のよい店」をテーマに、アメリカのダイナーのメニューをベースに、ジャマイカ料理、ハワイアン料理、タイ料理と、一年中“夏”を感じることができる私たちの店は、常連客を中心に口コミで広がり、あっという間に人気店になりました。お店を立ち上げたばかりの頃、私たちは「どう店を宣伝していくか?」ということに、いちばん時間をかけて考えました。某巨大口コミサイトや、人気のSNSサービスへの投稿、フォロワーの多い友人に紹介してもらうということは、全く考えませんでした。結局、とった方法とは、「なにもしない」ということでした。おかげさまで、少しずつですが人が人を呼び「居心地がよくて、美人(嫁)がいる店」として、今では評判の店となりました。話は突然に変わりますが、うちの顧問税理士・P先生は60代の男性。開業準備の段階からお世話になっており、それこそ最初のうちは毎月来てくれましたが、先生が来る時間帯は決まって店が忙しく、あまり話ができないからか、今では年に1回しか来なくなりました。せめてお客さんとして顔を出してくれたら、いろいろ相談もできるんだろうけど、あいにくP先生はお酒が苦手だし、周りの客層的にもきっと居心地悪いだろうし……いつしかお互い気まずくなってしまって。困ったことにP先生は、こっちが言わないと何も動いてくれないんです。 2018.05.07
  • アディーレの弁護士たち 昆虫が好き!田島寛明弁護士

    現在、国内屈指の超・巨大弁護士法人となったアディーレ法律事務所だが、今回ご紹介する田島寛明弁護士(たじまひろあき)は同事務所が3人の時から、補助者として事務所に勤務していた黎明期を知る一人。後に法科大学院へ進学し、苦学の末、司法試験を突破するのだが、それ以前、田島氏は昆虫ショップを経営していたという一風変わった経歴がある。本インタビューでは弁護士としてはもちろん、等身大の一人の人間としてその半生を伺ってみた。 大学卒業と同時に昆虫ショップを経営夏はバカ売れだが……冬はションボリ「7センチを超えると、当時は“大物”でした。」田島氏が大学3年生のころに、多くの外国産のカブトムシやクワガタの輸入が解禁されることになった。それは世間一般の人にとっては、何ら変化を感じないものだったかもしれない。しかし、田島氏はこの出来事を“ビジネスチャンス”と踏んで“昆虫の販売”に乗り出す。「国産のオオクワガタは一時期、黒いダイヤモンドと呼ばれるほど高価で希少だったんです。1センチ単位で価格が異なり、7センチを超えるとミリ単位で金額が変わってきます。大きく育てるために、比較的大きな個体を掛け合わせサラブレッドを作るんです。また、エサにも気を使います。クワガタはオガクズを食料としているのですが、菌床ビンといって、キノコの菌を混ぜた栄養価の高いオガクズを作り、これを食べさせて巨大なクワガタを育成するんです。また、“天然モノ”“養殖モノ”でも価格が異なります。もちろん前者の方が高価になるのですが、これを見分けるのは……至難の技です(笑)」。若年層の“起業ブーム”が訪れるのは数年後の話であり、田島氏は大学卒業後、就職せずに自営業という当時としてはかなりニッチな選択をしたことになる。しかも、その業種は“昆虫ショップ”。普段、あまり聞かない事業なだけに、その全体像を伺ってみた。「私が学生時代、外国産のカブトシやクワガタの輸入が解禁されるようになりました。それによって以前は“標本”でしか見ることができないヘラクレスオオカブトなどの、珍しい外来種の昆虫を飼うことができるようになったんです。ここに目を付けました。ビジネスを始めようとすれば、商品を仕入れるための資本が必要となりますが、昆虫ならば最初の親虫を購入して繁殖させれば、少額の資本で始められ、儲かるのでは?と考えました。さっそく親虫を購入して飼育を開始し、卒業と同時に事業として動き始めました。増えた昆虫は、まだ当時は珍しかったインターネットの通販か、縁日の出店やイベントなどで販売していました。繁忙期はかなりハッキリしていて7、8月がピークです。1日で数十万円の売上が立つこともありました」。カブトムシやクワガタは夏の風物詩。飛ぶように売れた。また、飼育の過程でボーナス的な収入もあったという。「何千匹もクワガタを飼って、繁殖させていたところ偶然“雌雄同体”が生まれたんです。それをオークションに出したところ1匹で30万円以上の値段が付きました。やったー! と喜んで沖縄旅行へ行ったんですが、後々、聞いた話だと、テレビの鑑定番組では、なんと300万円もの値段が付いていたというではありませんか!? そして私の販売履歴を見た他の方から“100万円で売ってくれ!”というオファーもありましたが、時はすでに売却後。もったいないことをしましたね(笑)。」しかし、季節は田島氏に恩恵を与える一方、不遇も与えた。 2018.05.02
  • アディーレの弁護士たち 強面すぎる!石橋力弁護士

    大好評シリーズ第4回目は、どこから見ても強面すぎる弁護士、石橋力氏が登場!バックパッカーとして海外を放浪、塾講師として子供達と接し、IT業務にも携わる。そして自宅の庭には漫画用の書庫を構える。まさに人間力の塊です! 写真をご覧いただければお分かりだろう。石橋氏は、泣く子も黙る強面である。取材当日、「もし質問中に噛んでしまったら……」ペンを持つ編集者の掌は汗でびっしょり、カメラマンも震えが止まらず、取材場所となる会議室内はある種の異様な緊張感が漂っていた。約束の時間を少しだけ過ぎた頃、石橋氏は現れた。見た目はまさにアウトレイジ。なのに、優しく暖かな空気を室内に漲らせ、一瞬にしてその場の雰囲気を変えてしまった。どこまでも純粋に、自分の本能ともいえる興味を探求し続ける石橋氏の半生を、できる限り紐解いてみた。「元々、考古学や歴史に興味があって、ずっと京都に住みたいと思っていたので、その想いを叶えるために大学は迷わず京都の大学に進学しました。具体的な専攻に関しては、歴史分野の中でも政治にまつわる話が好きだったので、政治史をやりたくて法学部の政治学科を選択しました。スポーツをずっとやってきたので体育会にも所属しましたが、ある程度のお金がかかるので、塾講師のアルバイトをしていました。“塾”は大まかには、進学塾と補習塾の二つに別れるんですが、私がアルバイトしていたのは補習塾の方なんですね。『まずは通知表オール3を目指そう! 学校の成績をあげよう!』という、まさに学校のカリキュラムを補習するための塾です」。学生時代は勉強、体育会、そしてアルバイトに明け暮れ、ある程度のお金が貯まったら海外を一人旅。そんな生活をしていた石橋氏。就職活動はしたものの、卒業後もそのまま塾講師として働きながら、放浪を続ける日々。ところが、そんなフリーダムな日々に、ちょっとした転機が訪れたのだ。「塾の講師を続けていると、目の前で頑張っている子供達の姿をたくさん見るんです。どこまでもひた向きに頑張る彼ら彼女たちを見ていたら、自分も新しいことを勉強したくなってきて……そこで、ネットワークエンジニアを養成する講座に通って、IT業務も行っている企業に就職しました。ところが、やはり海外に行きたくなってしまったんですね。1年働いた後、海外で働ける可能性のある進学塾を見つけ、東京に戻ってきました」。 ここまで石橋氏を魅きつけた旅の魅力とは? 2018.04.26
  • 【税理士を変更した理由】頼りない新人と”能天気二代目税理士”に担当が代わり、うんざりです!

     【税理士を変更した理由】マッサージ店経営 日下部社長(仮名)の告白「新しく御社の担当になったSです。よろしくお願いいたします」当社の会計事務所の担当者が退職したみたいで、新しくSさんが担当になりました。 Sさんは会計事務所勤務経験がない素人。そのため、所長先生の息子さんで税理士のW先生がサポートしてくれることになりました。そこでW先生はこんなことを言ってきました。 「今まで領収書等は3ヵ月に一度当社に提出していただきましたが、Sはまったくの新人で慣れていません。恐縮ですが、Sの研修のつもりでこれからは毎月出していただけませんか?」 私は仕方なく了承しましたが、後になって怒りが込み上げてきました。領収書の提出を毎月に変更するのは、あくまでも会計事務所の都合。どうして当社の領収書が新人の研修教材にならなければならないのでしょう。 それだけではありません。今期から当社は消費税の課税業者になったため、顧問料が1万円値上げになりました。頼りない新人に担当が代わり、こちらの手間が増えたのに、高い料金を払わなければならないのはどうも納得がいきません。 また、SさんをサポートするW先生は、いかにも二代目の坊ちゃんというか、世間知らずで能天気。先日も店の売上が落ちていることを相談しても「簡単です。売上が減ったのなら、単価を上げればいいんですよ。ハッハッハッ!」と言われました。 そんなの私だって分かりますよ。具体的にどうすればいいのかを聞きたかったのに、あまりの適当さに返す言葉がありませんでした。 もうこんな低レベルな会計事務所には付き合いきれません。お願いです。専門家として最低限以上の品質を持った会計事務所を紹介してください! Attention 事務所の都合だけでサービス内容を改めるのはやめよう 適当なアドバイスは信用をなくす士業の先生とのコミュニケーションに関するご相談、エピソードを募集しています。こちらのフォームよりお気軽にお問い合わせください。   2018.04.23
  • 【私が税理士を変更した理由】 「もったいない!」を一日100連発!! その話を聞いてる時間がもったいない!!

     「あっ! このボールペンまだ使えるよ。ホラ!」顧問税理士の業務にかかわらずA氏は、毎週一度は必ずやってくる。多い時は週に2~3回来ることも。「実に面倒見がいい税理士先生じゃないか」……世間からしたら、そう思われるかもしれない。しかし、これが来たら来たで、ちょっと面倒だと感じることも多い。「……こんにちは。社長さんいらっしゃいますか?」この日もAが来た事が、挨拶の声でわかった。A氏の声を聴くと、事務所内にピーンと張り詰めた空気が流れる。ガチャ。事務室のドアが開く。「どうも」事務所に入ってきたA氏。後輩のMが給湯室へ向かおうとしたところ、すかさず「ちょっとまって。これ捨てるの?」A氏は部屋に入るや否や、ゴミ箱をのぞきこんで、中から古びたボールペンを取り出した。インクの切れた使い捨てボールペンである。「これ、まだインクが残っているじゃない。これで捨ててたら“もったいないよ! ほら、書けるよ。申告の際に使えるじゃない?」インクが無くなってくると文字の書き損じが多くなる。特に申告書や請求書といった書類を作るときは、しっかりとインクが切れることなく出るペンを使う。Aの拾ったペンなど論外だ。しかし、「君たちは給料制だから、経費のことなんて何とも思わないんだろうね。僕はいわゆる報酬で食ってるわけじゃない。経費だって自分持ち。だから、目の付け所が違うんだよね。みんなももう少し自覚した方がいいんじゃないの? 会社のためを考えるとさあ……」。こうなると、話がしばらく続く。本当は無視して仕事を続けたいのだが……「あっ、そこ! キミ、今、また付箋を使ったでしょう? メモだったら裏紙でいいじゃない。さっきから付箋を使う頻度が高すぎるよ。これだからサラリーマンは……報酬制なら絶対やらないね。申告や契約の書類なんかも、何枚も書き損じて用紙を無駄にしているんじゃない? 経費は少しでも抑えるように意識してほしいよね。」言うことはごもっとも。だけど、A氏の話は長いし、彼のいう“経費削減”はちょっと微妙なものも多い。効率とかは二の次。とにかくビンボーくさいミリ単位の経費の節約をうだうだ話す。しかも、ヒマなのか、なかなか帰らずに、「やっぱり緑茶はおいしいね。一時、麦茶に浮気したけど。一周回って緑茶に辿り着いたよ。君は何派? えっ、コーヒーだって。……まだまだ青いね。」こんな下らない話をずっとしている。そして、どうでもいい話が終わると再び 2018.04.19
  • アディーレの弁護士たち 美人すぎる!正木裕美弁護士

    今回ご紹介する正木裕美氏はテレビなどのメディアでもおなじみの『美すぎる弁護士』。可憐を思わせるルックスと、弁護士という知性を併せ持つ、まさに“才色兼備”の象徴的な存在ですが、本インタビューでは、正木氏の半生にピックアップ! 彼女の素顔に迫りました。 “医療”から“司法”へ突然の進路変更曲がったことが大嫌い、という自他ともに認める強い正義感の持ち主の正木氏。弁護士への道は物心ついた時から半ば固まっていた……と思いきや、その根底は大学入学後のある出来事がきっかけになっているという。「父親が医師だったこともあり、元々は医療の道を志して大学は看護科に入学しました。その頃は弁護士になるつもりはなく、学問も数学などの理系に寄っていました。そんな時、法律を勉強している友人から“単なるコンビニの買い物も実は契約”といった、身近な法律行為の例を聞いて、面白いと感じました。ちょうど時同じくして、親族が病気になり、その治療の過程で“医療過誤!?”とも思える事態に遭遇しました。当時、二十歳前後の私はこの事態に対して“医療の問題を法律を使って解決できるのでは? と、大きな衝撃を受け、最終的には医療から司法の道へシフトすることを決意したんです。」とはいえ、この時点では法律知識は全くのゼロ。しかし、すでに気持ちは石のように固まっていた。躊躇することなく学校を退学し、法学部へ再入学を果たす。とはいえ、司法試験は高い壁となって立ちはだかることには変わりない。この時の気持ちを振り返ってもらった。 「入学当初から明確に弁護士を志望していたわけではなく、まずは法律を学んでみたい! といった心境でした。特に前記の体験から医療過誤の事について詳しく知りたい。という思いが強く、先駆者の加藤良夫先生が南山大学にいらっしゃいましたので、そこへ進みました。ところが、不幸なことに私の在学中は、加藤先生は教鞭をとっておらず、卒業まで一度も教えを受けることができなかったんです。後に先生は法科大学院の教壇に立っていることが分かったのですが、大学4回生になってストレートに司法試験を目指し法科大学院を目指したかというと、司法試験は超難関試験という認識は当然もっていましたので……ヤバイなあ。受かるかな、と悩みました。ただ、だからといって一般企業への就職に視野を向けると、それはそれでちょっと違う。自分にウソは付きたくない! と思い、また、ちょうど司法試験の制度が変わり、弁護士への門戸が開かれた時期ということもあって、少ない可能性に賭ける気持ちで司法試験へ舵を切りました。」 必勝アイテムは“幸運のボールペン”スーパー集中力でどこでも勉強できます!?ここで少し話はスライドするが、昔から受験勉強にはラッキーアイテムや、ジンクスといった “ゲン担ぎ”が存在する。司法試験学習は日に十数時間、それを毎日、数年間にわたって机との格闘に明け暮れる国内最難関試験であり、さらに合格後も職業柄、法廷で勝ち負けを争うことプレッシャーの強い仕事だ。正木氏にこのことを伺うと 2018.04.19
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